2014年12月9日火曜日

あたらしいせいかつ。あたらしいせかい。

ブログの名前のとおり、新しい暮らしが始まってます。

なにもかも、なにもかも、新しい。

一つは、新居に引っ越しました。
主人と2年かけてやっと夢をかなえました。
書道で使う小さなアトリエ付きです。

7ヶ月を迎え動きが増えてきた息子は
動き回るスペースが広がり楽しそうにごろごろ。

片付くまでもう少しかかりそうですが、
片付いたら是非遊びに来てください。


そして、もう一つは父が亡くなりました。
先月の22日でした。

年賀状のやり取りをしている方には
喪中はがきを送ったので、こちらにも書いておきます。

昨年の今頃小細胞癌であることが分かり、
予後は4ヶ月から1年といわれていました。
本人も病名も予後も知らされた上での闘病生活でした。

自分の予後を知らされるというのは
さぞかし怖かったんじゃないかと、思います。

でも、父は積極的に闘病し、この1年で
2人の孫の誕生を見届け、いろいろな身の回りの整理をし、
私たちの新居のほぼ完成したことを喜んでくれました。

亡くなる1週間前には、兄家族と私家族を
近場の温泉に招待してくれ、一緒に行きました。
その日までは自力で歩けていた父が急に歩けなくなり
意識レベルが急激に下がって、ホテルから直接病院へいきました。

それから1週間、辛そうだったり、朦朧とした状態が続きましたが
最期は眠るように、すっきりとした顔で逝きました。

残される母のために家のリフォームを
発注しその完成を見ず、亡くなりました。

癌に体力を奪われながらも
予後4ヶ月から1年といわれていた、
上限いっぱいまで生きてくれました。

前向きに闘病し、痛い、辛いを殆ど口にしたことがなかった父は、
娘の私がいうのもなんですが本当によくがんばったし、
男前な生き様だったと思います。

私が生まれたその日から、
父はこの世にいて当然の存在だったはずなのに
今は灰になって影もカタチもなくなってしまうなんて
父が癌だという話を聞いたときですら
想像できなかったことが、今の現実になっています。

今でもこの世のどこかに、というか
実家に帰るとひょいとあのドアを開けて父が出てくるじゃないかと
リアルに想像できてしまうほどなんですけど・・・・。

父には素直になれず、きつく当たるときもありましたが
それは父が私のことを見守ってくれていて、
決して私を見放すことはない、
という安心感が根底にあったからなんだな、と最近改めて思いました。

人様よりは遅かったけど、
父と結婚式で一緒に入場できたこと、
孫である息子を抱っこしてもらうことができたこと、
私の主人の終の棲家になるであろう家を
ぎりぎりででも見たもらうことができて、

父からもらった私の人生の中で、
親元から離れ、今後の人生の後半の
おおまかな道筋をつけられたことを、見てもらうことができて
少しは親孝行できたかな、父は安心してくれたかな、と思います。

通夜、葬式は沢山泣いて、沢山父の思い出話を母としました。

その後は、実家のリフォームが完成し
私の新居も完成し、悲しみにくれる暇もなく片付けや事務処理に
追われています。こういうタイミングにこうなったのは、父が


悲しみにくれずに、今後の新しい生活に目を向けろ


といってくれてるのかな、と勝手に解釈してます。
せっかちで、うじうじ考えるのか嫌いな父だったので
きっとそうだろうと思います。(笑)

この世のどこにも父がいないことにまだ慣れないけど
私は私の人生をしっかりやっていくことが
供養だし、親孝行なのかなと思います。


・・・とそんなこんなで、あわただしく11月、12月を過ごしてます。
とりあえず、クリスマスころまでには引越しが完了し、人を招いたり
お正月(喪中で祝えないけど)はゆっくり新居での暮らしを楽しんだり
したいな、と思います。

また徐々におうちに関する記事もアップできれば思います。